キハ65 9 → キハ65 1811



1969年6月25日日本車輌製の1次車で、昭和44年度第4次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット7〜10全車が高松へ配置されている。高松では徳島を除く四国全域の急行列車冷房化のための新製で、主に土讃本線・予讃本線の急行で活躍した。1972年には四国ではキハ65の投入及びキハ58系の冷房化が完了したが、キハ65の配置両数は必要以上であったため需給の関係から車両交換が行われ、鳥取からキハ58 16・17が高松へ転出し、高松から鳥取へキハ65 9・10が転出することになった。これは「ヨンナナトオ」改正で山陽新幹線が岡山まで開業することから、陰陽連絡急行のサービスアップを行う必要があったためである。当車は1972年9月29日付で鳥取へ転属し、転属後は主に急行「砂丘」等で使用されるようになった。その後も国鉄末期まで同急行で長く活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き急行「砂丘」や急行「但馬」で活躍したが、1990年には新設される「エーデル北近畿」の種車に抜擢され、1990年3月2日付で改造され「キハ65 1811」へ改番され福知山へ配置された。以降特急「エーデル北近畿」の他波動用等で長く活躍したが、山陰本線の電化後は「エーデル北近畿」の設定も無くなり、夜行急行「だいせん」に転用され、1999年10月3日付けで向日町へ転出した。しかし急行「だいせん」も2004年のダイヤ改正で廃止され、そのまま2004年11月1日付で廃車となった。

前面は、エーデルシリーズでは比較的原形を保っている。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下手すりも原形である。なお当車は運転席側ワイパーの拭き腕が1本のタイプであり、キハ65では珍しい。エーデル北近畿へ改造された際に向きが固定されジャンパ栓が片渡りとなったため、不要なジャンパ栓が撤去されている。
側面では、客室窓がサイズはそのまま固定窓化されている。改造により、側面の客室用強制換気口が移設されている。
屋根上は、換気扇が追設されている。
床下機器は、ほぼ原形のままである。


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