キハ65 12 → キハ65 7002



1969年8月12日富士重工製の2次車で、昭和43年度第4次債務で竹下気動車区へ配置された。同一ロット11〜13全車が竹下へ配置されている。竹下では長崎本線系統の急行で主に活躍したが、同線は比較的平坦であることから、1972年3月改正で鹿児島へ転属し、急行「フェニックス」「青島」で活躍した。しかし「50-3改正」「「55-10改正」で鹿児島地区の急行は全廃され、以降は鹿児島本線・日豊本線の快速列車や、指宿枕崎線の普通列車等で活躍し、そのままJR九州へ継承された。JR化後も引き続き主に指宿枕崎線の普通列車で活躍したが、平坦線である同線ではキハ65は過剰スペックであり、ジョイフルトレインへ転用されることとなり1988年8月20日付で「ジョイフルトレイン長崎」へ改造され、「キハ65 7002」へ改番された。改造後はその名の通り長崎へ配置され主に団体列車で活躍したが、1992年7月15日の改正以降は熊本で使用することとなり、熊本へ転属した。熊本ではそのままの姿で使用されたが、特急列車のグレードアップによりジョイフルトレインが陳腐化してきたこと、併結相手となる急行が減少したこと、種車が老朽化しスピードアップもままならないことから使用停止となり、1994年3月24日付で廃車となった。

前面は、冷房電源用ジャンパ受栓の位置が低い初期タイプのまま残っている。正面窓上の通風口、幌枠、標識灯掛けの高さにあった手すりは、改造時に撤去されている。
側面は、前位側の乗降扉が埋められ、また前位寄り3枚分の客用窓が固定式に変更されている。
屋根上は、前位側デッキ上に換気扇が追加されている。また、屋根上は機器を含め全て車体と同じ白色で塗装されている。九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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