キハ65 14



1970年2月13日日本車輌製の3次車で、昭和44年度第2次債務で竹下気動車区へ配置された。同一ロット14〜16全車が竹下へ配置されている。竹下では長崎本線系統の急行で主に活躍したが、同線は比較的平坦であることから、1972年3月改正で鹿児島へ転属し、急行「フェニックス」「青島」で活躍した。山陽新幹線博多開業に伴う「50-3改正」では九州内の急行も再編され、この時の転配で当車は1975年3月11日付で大分へ転属した。大分では急行「由布」「火の山」で国鉄末期まで活躍し、そのままJR九州へ継承された。JR化後も引き続き急行「由布」「火の山」で活躍し、1988年3月31日付で回転クロスシートへ改造され、1989年8月3日付で「九州急行色」へ変更された。その後1992年7月15日のダイヤ改正で急行「由布」「火の山」がキハ185系に置き換えられ廃止され、当車は同日付けで直方へ転属した。直方では内装・塗装ともそのまま波動用や普通列車で使用されたが、波動輸送の減少及び回転クロスシートで使いづらいことから、1994年12月19日付で廃車となった。

前面は、ほぼ原形のままであるが、タイフォンカバーは、スリット状ながら、下部の形状が若干異なる、九州タイプを装備する。また、大分時代の逆台形のヘッドマークステイを晩年まで取り付けていたと思われる。
側面も、ほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー台座及び保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であり、晩年の九州では珍しくスノープロウが残存している。


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