キハ65 15



1970年2月13日日本車輌製の3次車で、昭和44年度第2次債務で竹下気動車区へ配置された。同一ロット14〜16全車が竹下へ配置されている。竹下では長崎本線系統の急行で主に活躍したが、同線は比較的平坦であることから、1972年11月17日付で熊本へ転属し、急行「えびの」の冷房化を推進した。山陽新幹線博多開業に伴う「50-3改正」では九州内の急行も再編され、この時の転配で当車は1975年3月11日付で大分へ転属した。大分では急行「由布」「火の山」で国鉄末期まで活躍し、そのままJR九州へ継承された。JR化後も引き続き急行「由布」「火の山」で活躍したが、1989年3月のダイヤ改正で編成及び予備車見直しにより捻出され、1989年3月10日付で竹下へ転出した。竹下ではボックスシートのまま「九州色」へ塗装変更され、普通列車用となった。1991年3月16日のダイヤ改正では竹下気動車区は直方気動車区へ統合され、当車も直方配置となった。1996年には組織改正で筑豊篠栗鉄道事業部所属となったが、引き続き筑豊地区を中心に普通列車で活躍した。最期は1997年11月29日のダイヤ改正で香椎線にキハ200系が投入された際の車両転配で余剰となり、1998年3月26日付で廃車となった。

前面は、ほぼ原形のままである。
側面も、ほぼ原形のままである。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であり、晩年の九州では珍しくスノープロウが残存している。


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