キハ65 22



1970年2月24日日本車輌製の3次車で、昭和44年度第2次債務で大分機関区へ配置された。同一ロット21〜24のうち、21〜23が大分へ配置された。大分では主に豊肥本線・久大本線の横断急行で国鉄末期まで長く使用され、そのままJR九州へ継承された。JR化後も引き続き急行「由布」「火の山」で活躍し、1988年12月29日付でリクライニングシート化され、1990年2月4日付で塗装も「九州急行色」へ変更された。しかし急行「由布」「火の山」はキハ185系投入により1992年7月15日のダイヤ改正で廃止され、当車は快速「シーサイドライナー」用に長崎へ転出した。またこれに先立ち1992年4月13日には快速「シーサイドライナー」用に塗装変更されている。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられ、当車は熊本へ転属し、急行「えびの」「くまがわ」で使用されるようになった。また塗装も「シーガイア色」へ変更されている。その後は急行「えびの」「くまがわ」の編成縮小により余剰となり、1997年8月6日付で廃車となった。

前面は、ほぼ原形であるが、放送用ジャンパ受栓は、小倉工場標準のタイフォン上部へ移設されている。「えびの」「くまがわ」用のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。また、元シーサイドライナー車の証として、正面中ほどの小手すりが、「シーサイドライナー色」へ変更された際にロゴと干渉するため、位置が下げられている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。また客室強制換気口が埋められている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。また「シーガイア」塗装車は床下機器が濃いグレーで塗装されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る