キハ65 23



1970年2月24日日本車輌製の3次車で、昭和44年度第2次債務で大分機関区へ配置された。同一ロット21〜24のうち、21〜23が大分へ配置された。大分では主に豊肥本線・久大本線の横断急行で国鉄末期まで長く使用され、そのままJR九州へ継承された。JR化後も引き続き急行「由布」「火の山」で活躍し、1988年11月30日付でリクライニングシート化され塗装も「九州急行色」へ変更された。しかし急行「由布」「火の山」はキハ185系投入により1992年7月15日のダイヤ改正で廃止され、当車は快速「シーサイドライナー」用に長崎へ転出した。またこれに先立ち1992年4月30日には快速「シーサイドライナー」用に塗装変更されている。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。しかし2001年10月6日の筑豊本線・篠栗線電化によりキハ66系とキハ200系が長崎へ転入すると余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、ほぼ原形であるが、放送用ジャンパ受栓は、小倉工場標準のタイフォン上部へ移設されている。また正面中ほどの小手すりは、「シーサイドライナー色」へ変更された際にロゴと干渉するため、位置が下げられている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る