キハ65 24



1970年2月24日日本車輌製の3次車で、昭和44年度第2次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット21〜24のうち、当車のみが高松へ配置された。高松では比較的平坦な徳島地区を除く四国全域の急行列車の冷房化に使用された。国鉄末期まで用途は変わらず使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年3月18日付でバケットシート化され、1988年11月18日付で「四国色」へ変更された。1989年7月のダイヤ改正では予讃線急行の特急化が進み、急行は松山以西のみへ縮小されたことから急行運用が松山へ移管され、1989年7月9日付で松山へ転出した。しかし1990年11月21日ダイヤ改正で最後まで残っていた急行「うわじま」が特急格上げされ当車はローカル運用に転用されることになった。以降予讃線・土讃線の普通列車で使用されたが徐々に運用は減少していき、1999年7月にキハ185系の普通列車用格下げの3100番台が投入されると余剰となり、1999年7月1日付で廃車となった。

前面は登場時ほとんど変わっていない。
側面もほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャーの取り付け座及びドア横の保護板が撤去されている。また、客室強制換気の吸気口も撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウは取り外されている。1990年代中盤より台車等を含めた床下機器がグレーで塗装されている。


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