キハ65 37



1970年6月26日本車輌製の4次車で、昭和44年度第3次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット37〜40全車が高松へ配置されている。高松では比較的平坦な徳島地区を除く四国全域の急行列車の冷房化に使用された。国鉄末期まで用途は変わらず使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年2月27日付でバケットシート化され、1989年2月3日付で「四国色」へ変更された。1990年11月21日ダイヤ改正で最後まで残っていた急行「土佐」が特急格上げされ当車はローカル運用に転用されることになり、1990年11月21日付で松山へ転属した。松山では予讃線の普通列車で使用されたが徐々に運用は減少してゆき、1992年7月23日のダイヤ改正で予讃線の電化延伸すると余剰となり、1992年9月30日付で廃車となった。

前面は登場時ほとんど変わっていない。
側面もほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャーの取り付け座及びドア横の保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウは取り外されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る