キハ65 40



1970年6月26日本車輌製の4次車で、昭和44年度第3次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット37〜40全車が高松へ配置されている。高松では比較的平坦な徳島地区を除く四国全域の急行列車の冷房化に使用された。国鉄末期まで用途は変わらず使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年12月6日付で「四国色」へ変更されたが、1989年7月22日ダイヤ改正ではキハ185系投入による大規模な特急格上げがあり、早くも余剰となってしまう。しかし当時JR九州では勾配路線急行用にキハ65を必要としており、1989年10月24日付でJR九州へ移籍し、熊本運転所へ配置された。熊本では1990年度で「九州急行色」に塗り替えられ、急行「えびの」「くまがわ」で活躍を始めた。1993年3月のダイヤ改正では急行「えびの」の博多乗り入れが廃止され所要数が減ったことから、当車は1993年3月18日付で直方へ転属し、波動用及び普通列車用として使用された。香椎線にキハ200系が投入された1997年11月のダイヤ改正に伴う転配で、筑豊篠栗ではキハ40系が増加したことから、当車は1997年11月29日付で大分へ転属した。大分は急行廃止後一時期キハ65の配置が無くなっていたが、今回の転属はトロッコ列車の牽引車を強馬力車に置き換えることが目的であった。以降波動用・トロッコ牽引の他予備車として普通列車に混じって運用されたりした。そのため塗装が一般の九州色へ変更された。しかし1999年10月に熊本から36が転入しトロッコ牽引を彼に引き継ぐと余剰気味となり、最後は2001年10月6日の筑豊本線・篠栗線電化による車両転配で余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、ほぼ原形であるが、「えびの」「くまがわ」用のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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