キハ65 42



1970年6月18日富士重工製の4次車で、昭和44年度第3次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット41〜44全車が高松へ配置されている。高松では比較的平坦な徳島地区を除く四国全域の急行列車の冷房化に使用された。国鉄末期まで用途は変わらず使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は予讃線・土讃線の特急格上げにより捻出され、1988年3月に徳島へ転出している。前後し1988年2月11日付でバケットシート化され、1988年11月18日付で「四国色」へ変更され、引き続き急行「阿波」等で使用された。しかし1989年7月22日のダイヤ改正で急行の大幅削減が行われ、当車はJR西日本へ譲渡されることになり、1989年12月8日付で鳥取へ転出した。鳥取転出後はエーデル種車とはならず、急行色へ戻されたうえで急行「砂丘」で活躍した。1993年より急行「砂丘」のアコモ改造が行われたが当車もその対象となり1993年7月31日付で改造されたが、当時原形のキハ65はこの「砂丘」用のみでアコモ改造による区別をする必要が無くなっていたことから、改番はされていない。そして急行「砂丘」の最期まで使用された。1997年11月29日ダイヤ改正で急行「砂丘」は廃止され、区間短縮し急行「つやま」として残存したがキハ65は廃車対象となり、1998年5月29日付で廃車となった。

前面は登場時ほとんど変わっていないが、正面窓上の通風口が撤去されている。
側面はほぼ原形のままである。タブレット授受時の保護のため、前位側折戸の前位寄り窓が鉄板で被せられている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形であるが、四国出身であるので、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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