キハ65 44



1970年6月18日富士重工製の4次車で、昭和44年度第3次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット41〜44全車が高松へ配置されている。高松では比較的平坦な徳島地区を除く四国全域の急行列車の冷房化に使用された。国鉄最期の「61-11改正」時にキハ185系投入により急行が大幅に削減され当車は余剰となり、徳島の車齢の高いキハ28を置き換えるべく1987年3月21日付で徳島へ転出し、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年10月12日付で四国色へ変更され、徳島で急行「阿波」を中心に活躍した。しかし1990年11月21日のダイヤ改正で急行「阿波」がすべて特急に格上げされ、当車は同日付で松山へ転出し、予讃線の普通列車で使用されるようになった。しかし1992年3月には予讃線一部電化によるダイヤ改正があり当車は余剰となるが、再び徳島で急行「よしの川」用として活用されることとなり、1992年3月14日付で徳島へ転属した。以降急行「よしの川」用として使用された。1996年には特急「剣山」が新設され急行「よしの川」は1往復のみとなり余剰車は廃車されたが、当車は引き続き残留し同急行に使用された。1998年より同急行はキハ185系の運用となるが、当車を含むキハ58・65は引き続き予備車として在籍した。1999年には急行「よしの川」は特急格上げにより全廃されるが、当車は松山地区で引き続き使用されることになり、1999年7月1日付で松山へ転属した。しかし2000年6月にキハ185系3000番台が増備されると余剰となり、2001年3月31日付で廃車となった。

前面は登場時ほとんど変わっていない。
側面もほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャーの取り付け座及びドア横の保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウは取り外されている。1990年代中盤より台車等を含めた床下機器がグレーで塗装されている。


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