キハ65 46



1970年6月26日富士重工製の4次車で、昭和44年度第3次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット45〜47全車が高松へ配置されている。高松では比較的平坦な徳島地区を除く四国全域の急行列車の冷房化に使用された。国鉄最期の「61-11改正」時にキハ185系投入により急行が大幅に削減され当車は余剰となり、徳島の車齢の高いキハ28を置き換えるべく1987年3月23日付で徳島へ転出し、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年11月2日付で「四国色」へ変更され、徳島で急行「阿波」を中心に活躍した。しかし1990年11月21日のダイヤ改正で急行「阿波」がすべて特急に格上げされ、当車は同日付で松山へ転出し、予讃線の普通列車で使用されるようになった。しかし1992年3月ダイヤ改正で1000形増備による車両転配により余剰となり、1992年3月31日付で廃車となった。

前面は登場時ほとんど変わっていない。
側面もほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャーの取り付け座及びドア横の保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウは取り外されている。


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