キハ65 47



1970年6月26日富士重工製の4次車で、昭和44年度第3次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット45〜47全車が高松へ配置されている。高松では比較的平坦な徳島地区を除く四国全域の急行列車の冷房化に使用された。国鉄最期の「61-11改正」時にキハ185系投入により急行が大幅に削減され当車は余剰となり、徳島の車齢の高いキハ28を置き換えるべく1987年3月23日付で徳島へ転出し、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年12月30日付で「四国色」へ変更されたが、1989年7月22日ダイヤ改正ではキハ185系投入による大規模な特急格上げがあり、早くも余剰となってしまう。しかし当時JR九州では勾配路線急行用にキハ65を必要としており、1989年10月24日付でJR九州へ移籍し、鹿児島運転所へ転属した。鹿児島では「九州色」に塗装され、主に指宿枕崎線の普通列車で使用されたが、1997年11月29日のダイヤ改正で香椎線にキハ200系が投入された際の車両転配で余剰となり、1998年3月26日付で廃車となった。

前面は、ほぼ原形であるが、フック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。放送用ジャンパ受栓は、鹿児島工場標準のタイフォンとテールライトの間へ移設されている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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