キハ65 54



1970年5月12日日本車輌製の4次車で、昭和44年度第3次債務で都城機関区へ配置された。同一ロット53〜55全車が都城へ配置されている。都城へは同区が担当していた急行「えびの」冷房化のための配置で、これにより同急行は冷房化が進められた。以降国鉄末期まで長らく都城で急行「えびの」で活躍し、そのままJR九州へ継承された。JR化後は、1988年3月のダイヤ改正で急行「えびの」の運用は熊本へ統合されることになり、当車は1988年3月に熊本へ転属した。1989年3月のダイヤ改正では急行「えびの」が博多延長され一部受け持ちが竹下へ移管されることから、当車も1989年3月3日付で竹下へ転属した。、また転属同日付でリクライニングシート化され、塗装も「九州急行色」へ塗装変更された。竹下では急行「えびの」で活躍し、1991年3月には竹下気動車区は廃止され直方へ統合され、直方気動車区博多運用となったが運用の実態は同じであった。1992年7月15日のダイヤ改正で急行「由布」「火の山」が特急格上げで廃止された際に車両の入れ替えが行われ、大分からキハ65が転入した代わりに当車は快速「シーサイドライナー」用にダイヤ改正同日付で長崎へ転出した。またこの転属に伴い1992年度中で塗装が「シーサイドライナー」色に変更されていた。長崎では「シーサイドライナー」で活躍したが、1994年3月には同快速にキハ200系が投入されキハ58・65の所要数は減少し、筑豊地区の普通列車用として直方へ転属した。転出後は「九州色」へ変更され、1996年には組織改正で筑豊篠栗鉄道事業部所属となったが、引き続き筑豊地区を中心に普通列車で活躍した。しかし1997年3月ダイヤ改正で熊本地区にキハ200系が投入された際の転配で余剰となり、1997年6月4日付で廃車となった。

当車は唯一のシーサイドライナー色から九州色への塗装変更車で、九州内のキハ65では個性の強い顔つきである。
前面は、放送用ジャンパ受栓は、鹿児島工場標準のタイフォンとテールライトの間へ移設されている。当車は「シーサイドライナー」塗装に変更された際に、ロゴの関係で小手すりの位置が下げられている。また、通常九州色の青帯はテールライトに若干かかっているが、当車は青帯の位置が若干高く、テールライトと干渉していない。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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