キハ65 56



1970年5月14日日本車輌製の4次車で、昭和44年度第3次債務で都城機関区へ配置された。同一ロット56・57・59のうち、56・57が都城へ配置されている。都城へは同区が担当していた急行「えびの」冷房化のための配置で、これにより同急行は冷房化が進められた。「50-3改正」では山陽新幹線博多開業に伴うダイヤ改正で九州内の急行も見直しが行われ、当車は急行「錦江」等として1975年3月10日付で鹿児島へ転出した。以降は鹿児島本線・日豊本線の快速列車や、指宿枕崎線の普通列車等で活躍し、そのままJR九州へ継承された。JR化後も引き続き同じ用途で使用されたが、1989年3月のダイヤ改正で急行「えびの」の一部が博多発着となり竹下担当となることから、竹下へ急行型が集められることになり、当車は1989年3月11日付で竹下へ転出した。そして転出後の1989年9月20日付でリクライニングシート化され、同時に塗装も「九州急行色」へ変更された。1991年3月には竹下気動車区は廃止され直方へ統合され、直方気動車区博多運用となったが運用の実態は同じであった。1992年7月15日のダイヤ改正で急行「由布」「火の山」が特急格上げで廃止された際に車両の入れ替えが行われ、大分からキハ65が転入した代わりに当車は快速「シーサイドライナー」用にダイヤ改正同日付で長崎へ転出した。またこの転属に先立ち、1992年6月17日付で塗装が「シーサイドライナー」色に変更されていた。長崎では「シーサイドライナー」で活躍したが、1994年3月には同快速にキハ200系が投入されキハ58・65の所要数は減少し、当車は急行「えびの」「くまがわ」用として再び熊本へ転出した。転入後は青色ベースにロゴ入りの専用色へ変更され活躍した。2000年3月のダイヤ改正で急行「えびの」が廃止され、車体のロゴも「くまがわ」のみのものに変更された。しかしその急行「くまがわ」も2004年3月のダイヤ改正「九州横断特急」に格上げされ廃止され、当車も2004年8月29日付で廃車となった。

前面は、貫通扉には急行「えびの」「くまがわ」用のヘッドマークステイが取りつけられている。放送用ジャンパ受栓は、鹿児島工場標準のタイフォンとテールライトの間へ移設されている。当車は「シーサイドライナー」塗装に変更された際に、ロゴの関係で小手すりの位置が下げられているが、ヘッドマークを付ける際に他車と位置が合わないため、これを合わせる治具のようなものが取り付けられている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。また強制換気用のルーバーも撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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