キハ65 57



1970年5月14日日本車輌製の4次車で、昭和44年度第3次債務で都城機関区へ配置された。同一ロット56・57・59のうち、56・57が都城へ配置されている。都城へは同区が担当していた急行「えびの」冷房化のための配置で、これにより同急行は冷房化が進められた。「50-3改正」では山陽新幹線博多開業に伴うダイヤ改正で九州内の急行も見直しが行われ、当車は急行「錦江」等として1975年3月10日付で鹿児島へ転出した。以降は鹿児島本線・日豊本線の快速列車や、指宿枕崎線の普通列車等で活躍し、そのままJR九州へ継承された。JR化後も引き続き主に指宿枕崎線の普通列車で活躍したが、1997年11月29日のダイヤ改正で香椎線にキハ200系が投入された際の車両転配で余剰となり、1998年3月26日付で廃車となった。

前面は、貫通扉には快速用のフック式ヘッドマークステイが取りつけられている。放送用ジャンパ受栓は、鹿児島工場標準のタイフォンとテールライトの間へ移設されている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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