キハ65 61



1970年5月19日日本車輌製の4次車で、昭和44年度第3次債務で長崎機関区へ配置された。同一ロット60・61のうち、61のみが長崎へ配置された。長崎では主に急行「いなさ」「弓張」をはじめとする長崎本線系統の急行で使用された。1973年には熊本担当の急行「えびの」を冷房化するための熊本・竹下・長崎で車両交換が行われ、当車は同年度中に竹下へ転出した。竹下では引き続き長崎本線系統の急行で活躍したが、長崎本線にはあまり急勾配が無いため、強馬力のキハ65を他区で活用することになり、1974年4月25日付で熊本へ転出した。熊本では肥薩線の急行「えびの」で活躍するようになった。この状態は国鉄末期まで長く続いたが、「60-3改正」で急行の減車が行われると余剰気味となり、ジョイフルトレインとして活用されることになり、当車は1986年2月13日付で481系発生品の回転クロスシート化され、塗装も白に黄緑色の帯となり、愛称も「サウンドエクスプレスひのくに」として、団体臨時列車や、1両単位での他列車への併結で使用された。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後の九州では急行のアコモ改造や、他のジョイフルトレインの拡充により持て余し気味となっていたが、快速「シーサイドライナー」で活用する事となり、1992年7月15日付で長崎へ転属した。そして転属に先立ち1992年2月25日付でリクライニングシート化及び塗装変更され「ハウステンボス」化された。当車は主に「ハウステンボス」へのシャトル列車で活躍したが、他車と混じって快速「シーサイドライナー」で使用されることもあった。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースのシーサイドライナー新塗装へ変更された。しかし2001年10月6日の筑豊・篠栗線電化によりキハ66・67が長崎へ転入すると用途を失い、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、ほぼ原形である。放送用ジャンパ受栓は、九州では珍しく原形のステップ下部のままである。当車は元「ハウステンボス」車であるため、他のシーサイドライナー車と異なり、正面中央付近の小手すり高さは原形のままである。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座が撤去されている。また側面の強制換気吸気口も撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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