キハ65 62



1970年5月28日日本車輌製の4次車で、昭和44年度第3次債務で長崎機関区へ配置された。同一ロット62・63のうち、62のみが長崎へ配置された。長崎では主に急行「いなさ」「弓張」をはじめとする長崎本線系統の急行で使用された。1973年には熊本担当の急行「えびの」を冷房化するための熊本・竹下・長崎で車両交換が行われ、当車は同年度中に竹下へ転出した。竹下では引き続き長崎本線系統の急行で長く活躍したが、長崎本線の電化により急行が廃止されると主に博多周辺のローカル輸送で使用されることなった。国鉄末期の「61-11改正」では急行の短編成化が進むが、加えて勾配路線急行の強馬力化も進められ、当車はこれに関連し1986年10月25日付で熊本へ転属した。熊本では主に急行「えびの」で使用され、そのままJR九州へ継承された。JR化後の1989年3月ダイヤ改正では急行「えびの」の一部が博多発着となり竹下担当へ改められ、当車も1989年3月3日付で竹下へ転出した。同時に1989年3月3日付でリクライニングシート化され、塗装も「九州急行色」へ変更された。1991年3月には組織改正で竹下気動車区は直方気動車区に統合されたが、引き続き竹下ベースで博多発着の急行で使用された。しかし1992年7月15日のダイヤ改正で急行「由布」「火の山」がキハ185系投入により特急化され廃止となり、この際の車両転配で快速「シーサイドライナー」で活用される事となり、1992年7月15日付で長崎へ転属した。そして転属に先立ち1992年6月22日付で快速「シーサイドライナー」用に塗装変更されている。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用され、1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。しかし1999年当時既に筑豊本線電化によりキハ58系が置き換えられることが確定しており、当車は検査期限が切れることから使用停止となり、代わりにキハ65 32が転入し1999年12月13日付で廃車となった。

前面は、ほぼ原形である。放送用ジャンパ受栓は、九州では珍しく原形のステップ下部のままである。また正面中ほどの小手すりは、「シーサイドライナー色」へ変更された際にロゴと干渉するため、位置が下げられている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座が撤去されている。また側面の強制換気吸気口も撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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