キハ65 64



1971年3月11日日本車輌製の5次車で、昭和45年度第1次債務で大分機関区へ配置された。同一ロット64〜67のうち、当車のみが大分へ配置された。大分では主に豊肥本線・久大本線の横断急行で国鉄末期まで長く使用され、そのままJR九州へ継承された。JR化後は主に急行の予備車として使用され、ボックスシートのまま1989年頃に「九州急行色」へ変更された。大分では大半の仲間がアコモ改造されたのとは対照的であった。1992年7月15日ダイヤ改正でキハ185系転入により急行「由布」「火の山」が廃止され、大分のキハ65は大半が転出するが、当車はボックスシートであったこともあり引き続き大分配置で豊肥本線・久大本線の普通列車で使用された。1996年ダイヤ改正に伴う転配で筑豊篠栗へ転出し、筑豊地区で普通列車用として活躍した。1996年6月には組織改正で筑豊篠栗鉄道事業部所属となった。しかし1997年11月29日のダイヤ改正で香椎線にキハ200系が投入された際の車両転配で余剰となり、1998年3月26日付で廃車となった。

前面は、ほぼ原形であるが、放送用ジャンパ受栓は、小倉工場標準のタイフォン上部へ移設されている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。なお当車の煙突は他車と比べ長く目立つ存在である。
床下はほぼ原形であり、晩年の九州では珍しくスノープロウが残存している。


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