キハ65 67



1971年3月11日日本車輌製の5次車で、昭和45年度第1次債務で長崎機関区へ配置された。同一ロット64〜67のうち、65〜67が長崎へ配置された。長崎では主に急行「いなさ」「弓張」をはじめとする長崎本線系統の急行で使用された。1973年には熊本担当の急行「えびの」を冷房化するための熊本・竹下・長崎で車両交換が行われ、当車は同年度中に竹下へ転出した。竹下では引き続き長崎本線系統の急行で長く活躍したが、長崎本線の電化により急行が廃止されると主に博多周辺のローカル輸送で使用されることなった。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後も普通列車のみで運用されたが、1988年3月ダイヤ改正で急行「由布」「火の山」用へ抜擢され、1989年3月13日付で大分へ転属し、3月31日付で回転クロスシートへ改造された。また1989年度には「九州急行色」へ変更された。しかし急行「由布」「火の山」はキハ185系投入により1992年7月15日のダイヤ改正で廃止され、当車は熊本発着の急行「えびの」「くまがわ」で引き続き使用されることになり、同改正日付で熊本へ転属した。熊本では「シーガイア色」へ変更され急行「えびの」「くまがわ」で活躍したが、1994年に快速「シーサイドライナー」にキハ200系が投入された際にリクライニングシートのキハ65が転入し、回転クロスシート車は余剰となる。当車は幸運にも普通列車用として活用されることとなり、1995年4月20日付で直方へ転出した。直方では「九州色」へ塗装変更され、筑豊地区の普通列車で使用された。1996年には組織改正で筑豊篠栗鉄道事業部所属となった。しかし1997年11月29日のダイヤ改正で香椎線にキハ200系が投入された際の車両転配で余剰となり、1998年3月26日付で廃車となった。

当車は「シーガイア色」から九州色へ変更された唯一の車輛であった。
前面は、ほぼ原形であるが、放送用ジャンパ受栓は、小倉工場標準のタイフォン上部へ移設されている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。当車は「シーガイア色」から九州色へ変更された際、クーラーのみは「シーガイア色」の青色のまま出場しており、異端車であった。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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