キハ65 72



1971年3月17日日本車輌製の5次車で、昭和45年度第1次債務で和歌山機関区へ配置された。同一ロット71〜73全車が和歌山へ配置されている。和歌山では急行「きのくに」の冷房化促進のため投入され、全体的に紀勢本線は平坦路線であったが特に阪和線の勾配区間が電車高頻度運転区間であるため、キハ28の両数を減らすため投入された。その後は急行「きのくに」の末期まで和歌山で活躍し、「60-3改正」で急行「きのくに」が廃止された際に1985年3月14日付で亀山へ転属した。亀山では急行「かすが」や関西本線・紀勢本線の普通列車で使用された。国鉄最後の「61-11改正」ではJR東海へ継承されることになり1986年11月1日付で伊勢へ転出し、そのままJR東海へ継承された。JR化後は強馬力・冷房電源付きのキハ65は急行で活用することになり、1988年3月13日付で名古屋へ転出した。名古屋では急行「のりくら」で主に活躍した。1990年のキハ85系投入による特急格上げ後は1990年に塗装変更の上快速「みえ」で使用されるようになった。1994年にキハ75が投入されると定期運用からは外れるが、引き続き波動輸送や増結用として活躍した。しかし1999年のキハ75・キハ11追加投入によるキハ58系全廃の際に余剰となり、2001年1月15日付で廃車となった。

前面は登場時ほとんど変わっていないが、放送用ジャンパ受栓が関西地区特有のタイフォンとテールライトの間へ移設されている。なお当車は伊勢時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面はほぼ原形のままである。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形であるが、JR東海では1990年以降床下機器が台車を含めグレーで塗装されている。


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