キハ65 74



1971年6月8日日本車輌製の6次車で、昭和45年度第2次債務で大分機関区へ配置された。同一ロット74〜76のうち、74・75が大分へ配置されている。大分では主に豊肥本線・久大本線の横断急行で国鉄末期まで長く使用され、そのままJR九州へ継承された。JR化後も引き続き急行「由布」「火の山」で活躍し、1988年8月1日付で回転クロスシート化され、1989年10月9日付で塗装も「九州急行色」へ変更された。しかし急行「由布」「火の山」はキハ185系投入により1992年7月15日のダイヤ改正で廃止され、当車は筑豊地区の普通列車で使用するため同改正日付で直方へ転属した。1996年には組織改正で筑豊篠栗鉄道事業部所属となったが、引き続き筑豊地区を中心に普通列車で活躍した。最期は1997年11月29日のダイヤ改正で香椎線にキハ200系が投入された際の車両転配で余剰となり、1998年3月26日付で廃車となった。

前面は、ほぼ原形であるが、放送用ジャンパ受栓は、小倉工場標準のタイフォン上部へ移設されている。貫通扉にはフック式のヘッドマークステイが取りつけられている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座が撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であり、晩年の九州では珍しくスノープロウが残存している。


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