キハ65 76 → キハ65 1812



1971年6月8日日本車輌製の6次車で、昭和45年度第2次債務で高松運転所へ配置された。同一ロット74〜76のうち、当車のみ高松へ配置されている。高松では徳島を除く四国全域の急行列車冷房化のための新製で、主に土讃本線・予讃本線の急行で活躍した。この状態は国鉄末期まで長く続いたが、国鉄最期の「61-11改正」時にキハ185系投入により急行が大幅に削減され当車は余剰となり、徳島の車齢の高いキハ28を置き換えるべく1986年10月27日付で徳島へ転出し、そのままJR四国へ継承された。JR化後は徳島で急行「阿波」を中心に活躍したが、1989年7月のダイヤ改正では特急「うずしお」増発により急行「阿波」は大幅に削減され当車は余剰となり、JR西日本譲渡車へと抜擢された。そして1990年3月23日付で改造され「キハ65 1812」へ改番され福知山へ配置された。以降特急「エーデル北近畿」の他波動用等で長く活躍したが、山陰本線の電化後は「エーデル北近畿」の設定も無くなり、夜行急行「だいせん」に転用され、1999年10月3日付けで向日町へ転出した。しかし急行「だいせん」も2004年のダイヤ改正で廃止され、そのまま2004年11月1日付で廃車となった。

前面は、エーデルシリーズでは比較的原形を保っている。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下手すりも原形である。エーデル北近畿へ改造された際に向きが固定されジャンパ栓が片渡りとなったため、不要なジャンパ栓が撤去されている。
側面では、客室窓がサイズはそのまま固定窓化されている。改造により、側面の客室用強制換気口が移設されている。
屋根上は、換気扇が追設されている。
床下機器は、ほぼ原形のままである。当車の台車は最後までオイルダンパなしのDT39、TR218のままであったのが珍しい。


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