キハ65 78 → キロ65 551



1971年6月11日日本車輌製の6次車で、昭和45年度第2次債務で梅小路機関区へ配置された。同一ロット77〜79のうち、78・79が梅小路へ配置されている。梅小路へは急行「しらはま」冷房化のための投入であったが、1972年度には梅小路機関区の気動車は全て向日町運転所へ移管され、当車も向日町へ転出した。向日町では急行「しらはま」の他、「志摩」でともに京都から紀伊半島方面への急行で使用された。1980年代には急行「しらはま」が運転区間縮小され「紀ノ川」に変わり、それも「59-2改正」で廃止されたため「志摩」のみの運用であったが、国鉄末期の「60-3改正」では宮原機関区の運用が向日町へ移管され、急行「みささ・みまさか」「たかやま」でも使用されるようになった。その後「61-11改正」で急行「志摩」も廃止されたが主に「たかやま」用としてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は向日町のキハ65は余剰気味であり金沢地区で新設されるジョイフルトレインの種車となり、1988年3月18日付で「ゴールデンエクスプレス アストル」へ改造され、車番も「キロ65 551」へ改番された。当車は国鉄末期に改造された「ゆうトピア和倉」のシステムを踏襲しており、同車が検査入場時には代替として使用できるように考慮された。その他特急「雷鳥」に併結されて高山本線方面へ乗り入れる臨時特急「ユートピア高山」や、同時期に改造された中間車のキロ29 552を挟んで団体・臨時列車で活躍した。1994年に先輩の「ゆうトピア和倉」が故障廃車となって以降は波動用・団体用として広範囲で活躍した。1997年12月10日付で延命工事が施工され、カラーリングが変更されたほか、中間車がキロ28 2500番台改造のキロ29 554に差し替えられ、車体形状が揃いきれいな編成となった。以降も北陸地区以外も含め広範囲で活躍したが、老朽化のため2007年3月9日付で廃車となった。

前面は「ゆうトピア和倉」に類似したハイデッカー展望室へ改造されているが、窓が2分割へ変更されおり眺望が良くなっている。
側面は、前位側はハイデッカーに改造されており種車の面影はないが、車体中央部から後位側は原形を残している。窓は配置はほぼそのまま固定式に改造されている。
屋根上は、前位側は大きく改造されており、集中式のAU76形クーラーを搭載しているが、一般席側は種車のAU13クーラーを4基残している他、換気扇が増設されている。また延命工事時に雨どいの縦樋が埋め込み式から外妻へ移設されており、12系客車のような形態となっている。
床下は、キハ65には無い便所が設置されたので一部改造されており、デッキ下に循環式汚物処理装置が取り付けられた関係で当該箇所にあった機器箱が燃料タンク付近に移設され、燃料タンクは容量の小さい新型のものに交換されている。水タンクを床下に設置するスペースはないため、床上に設けられている。また当車は延命工事以降床下機器が台車を含め全て灰色で塗装されている。


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