キハ65 80



1972年1月12日日本車輌製の7次車で、昭和46年度本予算で岡山気動車区へ配置された。同一ロット80〜82全車が岡山へ配置されている。岡山へは「ヨンナナサン改正」で山陽新幹線が岡山まで開通することから、岡山発着の陰陽連絡急行「伯耆」「砂丘」の冷房化及び強馬力化のため投入された。その後は1982年7月に伯備線が電化され急行「伯耆」が廃止されると、主に急行「砂丘」「みささ・みまさか」で使用される。その後は「60-3改正」で急行「みささ・みまさか」が減便され、岡山担当は急行「砂丘」のみとなり、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は1988年3月改正で急行「砂丘」運用が鳥取へ統合されることになり、当車も1988年3月13日付で鳥取へ転属した。その後は急行「砂丘」「但馬」で使用された。以降鳥取配置のキハ65はエーデルの種車となるものが多かったが当車は引き続き急行「砂丘」で活躍した。1993年より急行「砂丘」のアコモ改造が行われたが当車もその対象となり1994年5月10日付で改造されたが、当時原形のキハ65はこの「砂丘」用のみでアコモ改造による区別をする必要が無くなっていたことから、改番はされていない。そして急行「砂丘」の最期まで使用された。1997年11月29日ダイヤ改正で急行「砂丘」は廃止され、区間短縮し急行「つやま」として残存したがキハ65は廃車対象となり、1998年3月31日付で廃車となった。

前面は、正面窓上の通風口が撤去されている。また、放送用ジャンパ受栓が関西地区特有のタイフォンとテールライトの間へ移設されている。
側面はほぼ原形のままである。タブレット授受時の保護のため、前位側折戸の前位寄り窓が鉄板で被せられている。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形である。


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