キハ65 85 → キハ65 1611



1972年1月18日日本車輌製の7次車で、昭和46年度本予算で梅小路機関区へ配置された。同一ロット83〜86のうち、85・86が梅小路へ配置されている。梅小路へは急行「しらはま」冷房化のための投入であったが、1972年度には梅小路機関区の気動車は全て向日町運転所へ移管され、当車も向日町へ転出した。向日町では急行「しらはま」の他、「志摩」でともに京都から紀伊半島方面への急行で使用された。1980年代には急行「しらはま」が運転区間縮小され「紀ノ川」に変わり、それも「59-2改正」で廃止されたため「志摩」のみの運用であったが、国鉄末期の「60-3改正」では宮原機関区の運用が向日町へ移管され、急行「みささ・みまさか」「たかやま」でも使用されるようになった。その後「61-11改正」で急行「志摩」も廃止されたが主に「たかやま」用としてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は1989年に急行「みささ・みまさか」が廃止されたため余剰となり、変わりに増発された急行「砂丘」用として1989年3月8日付で鳥取へ転属した。その後は急行「砂丘」「但馬」で使用されたが当時既に鳥取のキハ65は余剰気味となっており、1989年12月15日付で「エーデル丹後」系統の増結車「シュプール&リゾート」へ改造され、「キハ65 1611」へ改番され、向日町へ配置された。その後は主に臨時列車・波動用で長く活躍したが、老朽化のため2010年10月15日付で廃車となった。

前面は、助手席側の窓が展望を考慮した大型窓へ変更されている。それに伴い貫通扉の窓も大型化されている。正面窓上の通風口はエーデルシリーズでは珍しく残存している。ワイパーはWP35のままで、正面窓下のてすりも原形である。「シュプール&リゾート」改造時にヘッドライト周りとジャンパ栓・連結器等が改造されている。
側面では、前位側の乗降扉が埋められている。また、客室窓がサイズはそのまま固定窓化されている。後位側は大型荷物置き場とされたので、側窓2枚分が埋められている。改造により、側面の客室用強制換気口が移設されている。
屋根上は、換気扇が2箇所追設されている。
床下機器は、便所増設されていないので、概ね種車のままである。台車は、北陸本線で電車と併結し高速運転を行うことから、後年のキハ181系と同様、軸箱支持方式がリンク式からペデスタル式へ変更されている。


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