キハ65 503



1969年8月29日富士重工製の2次車で、昭和43年度第5次債務で松本運転所へ配置された。同一ロット503〜505全車が松本へ配置されている。松本へは急行「アルプス」の冷房化のため投入された。当車が投入された当時既に中央東線は電化されており架線下気動車急行であったが、「50-3改正」で全て電車化されることになり、当車は1975年3月11日付けで長野へ転属した。長野では急行「ちくま」「越後」を中心に活躍したが、「53-10改正」で中部地区の気動車急行が大幅削減され、長野担当の「ちくま」「越後」は廃止され、1978年9月28日付で名古屋へ転出した。名古屋では急行「のりくら」「紀州」で長く活躍した。国鉄末期には急行「紀州」は廃止され、代わりに亀山より急行「かすが」の運用が移管され、そのままJR東海へ継承された。JR化後は主に急行「のりくら」で活躍した。1990年のキハ85系投入による特急格上げに際し1990年に塗装変更の上快速「みえ」で使用されるようになった。しかし1994年にキハ75が投入されると定期運用からは外れ余剰となり、1995年3月9日付で廃車となった。

前面は登場時ほとんど変わっていない。500番台特有のヒーター付きのジャンパ受栓と、1・2次車のみに見られるジャンパ栓納め取り付け位置が特徴である。当車は「架線注意」の札が、小手すりの下に設置されており珍しい。
側面はほぼ原形のままである。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形であるが、JR東海では1990年以降床下機器が台車を含めグレーで塗装されている。


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