キハ65 509



1970年4月28日日本車輌製の4次車で、昭和44年度第3次債務で長野運転所へ配置された。同一ロット508〜511全車が長野へ配置されている。長野へは急行「きそ」「ちくま」「越後」の幹線急行の冷房化のため投入された。しかし中央西線は1973年には電化され、この際に当車は美濃太田へ転出し、急行「のりくら」や「紀州」で活躍した。「50-3改正」では美濃太田区のキハ65運用は名古屋へ移管され、当車も名古屋へ転出し、引き続き急行「のりくら」「紀州」を中心に活躍した。国鉄末期には急行「紀州」は廃止され、代わりに亀山より急行「かすが」の運用が移管され、そのままJR東海へ継承された。JR化後は急行「のりくら」で主に活躍した。1990年のキハ85系投入による特急格上げに際し急行色のまま波動輸送等に使用されていたが、快速「みえ」の需要が旺盛であることから1991年に塗装変更の上快速「みえ」で使用されるようになった。1994年にキハ75が投入されると定期運用からは外れるが、引き続き波動輸送や増結用として活躍した。しかし1999年のキハ75・キハ11追加投入によるキハ58系全廃の際に余剰となり、2001年1月15日付で廃車となった。

前面は登場時ほとんど変わっていない。500番台特有のヒーター付きのジャンパ受栓が特徴である。
側面はほぼ原形のままである。
屋根上はほぼ原形のままである。
床下はほぼ原形であるが、JR東海では1990年以降床下機器が台車を含めグレーで塗装されている。


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