キハ65 510 → キロ65 1



1970年4月28日日本車輌製の4次車で、昭和44年度第3次債務で長野運転所へ配置された。同一ロット508〜511全車が長野へ配置されている。長野へは急行「きそ」「ちくま」「越後」の幹線急行の冷房化のため投入された。しかし中央西線は1973年には電化され、この際に当車は美濃太田へ転出し、急行「のりくら」や「紀州」で活躍した。「50-3改正」では美濃太田区のキハ65運用は名古屋へ移管され、当車も名古屋へ転出し、引き続き急行「のりくら」「紀州」を中心に活躍した。国鉄末期になると急行の削減や短編成化が行われ余剰となり、金沢局で新型ジョイフルトレインを導入する際に種車となり、1986年11月21日付で「ゆうトピア和倉」に改造され、「キロ65 1」へ改番された。「ゆうトピア和倉」は、大阪〜金沢間を特急「雷鳥」の最後尾にぶら下がる形で牽引され走行し、金沢から七尾線経由で和倉温泉まで行く特急列車であった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後も特急「ゆうトピア和倉」の他団体臨時列車等でも使用されたが、1991年9月の七尾線電化で、特急「雷鳥」の付属編成がそのまま和倉温泉へ直通するようになり、当列車は廃止された。その後は主に団体・臨時・波動用に使用されたが1994年に駆動系に重大な故障が発生し、使用頻度も低くなっていたことから修理されずそのまま1995年3月31日付で廃車となった。

前面は「アルファコンチネンタルエクスプレス」に類似したハイデッカー展望室へ改造されている。
側面は、前位側はハイデッカーに改造されており種車の面影はないが、車体中央部から後位側は原形を残している。窓は配置はほぼそのまま固定式に改造されている。当車は後位側に便所が設置されたので、3位側に横長の便所窓が設けられた。
屋根上は、前位側は大きく改造されており、集中式のAU76形クーラーを搭載しているが、一般席側は種車のAU13クーラーを3基残している。
床下は、キハ65には無い便所が設置されたので一部改造されており、デッキ下に循環式汚物処理装置が取り付けられた関係で当該箇所にあった機器箱が燃料タンク付近に移設され、燃料タンクは容量の小さい新型のものに交換されている。水タンクを床下に設置するスペースはないため、床上に設けられている。


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