キハ65 512 → キハ65 1601



1970年5月7日日本車輌製の4次車で、昭和44年度第3次債務で長野運転所へ配置された。同一ロット51・52・512・513のうち、51・512・513が長野へ配置されている。長野へは急行「きそ」「ちくま」「越後」の幹線急行の冷房化のため投入された。これら急行は中央西線の電化後も引き続き気動車で残り、架線下気動車急行で暫く活躍したが、「53-10改正」でこれらが全て電車化されることになり、当車は1978年10月1日付けで和歌山機関区へ転属した。和歌山では急行「きのくに」「紀州」で活躍した。和歌山では急行「きのくに」の最期まで活躍し、「60-3改正」で特急格上げで全廃されると1985年3月14日付で亀山へ転出した。亀山では急行「かすが」の他、関西本線・紀勢本線の普通列車で活躍したが、JR移行直前の「61-11改正」では「かすが」は名古屋の担当となり、普通列車専属となりそのままJR西日本へ継承された。JR化後は主に関西本線の普通列車や臨時の急行「かすが」増結(亀山〜奈良間)で使用されたが、乗降扉が狭く普通列車で運用しづらいことから早々に1987年12月で向日町へ転出した。向日町では急行「みささ・みまさか」「たかやま」や波動用で使用されたが、「エーデル丹後」新設の際の種車へ抜擢され、1988年7月7日付で改造され「キハ65 1601」へ改番された。以降「エーデル丹後」として福知山線の電車特急と併結し活躍を開始し、設定の無いときには他の臨時列車や波動用車両として使用された。特に「シュプール&リゾート」車が登場した後は、これらと組み北陸方面へ出ることも多かった。しかし山陰本線園部〜綾部電化の1996年3月改正で、福知山線経由の電車特急併結列車に北近畿タンゴ鉄道のKTR8000系が投入され、「エーデル丹後」は廃止された。以降臨時列車や波動用として活躍したが、スキー人口の減少もあり北陸方面へのシュプール列車も年々減少し活躍の機会も減少した。そして老朽化のため2010年3月31日付で廃車となった。

前位側はエーデルシリーズ共通の展望席へ改造されており、種車の面影はない。当車は助手席側にジャンパ受栓がある。
側面では、前位側は展望席へ改造されており、種車の面影はない。後位側は種車の鋼体のままであるが、側窓は大型窓へ改造されており、種車とは窓のサイズとピッチが異なる。側面の客室強制換気口も移設されている。4VK発電セットの吸気口は原形の位置に残存している。後位側車端部は業務用室となっており、小窓が設けられている。
屋根上は、換気扇が追設されている。また、展望席側には14系客車と同様の集中型クーラーを装備している。
床下機器は、便所が増設されていないため種車から大きく変わっていない。台車は、福知山線で電車と併結し高速運転を行うことから、後年のキハ181系と同様、軸箱支持方式がリンク式からペデスタル式へ変更されている。


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