キハ65 514 → キロ65 1551



1971年6月14日日本車輌製の6次車で、昭和45年度第2次債務で長野運転所へ配置された。同一ロット77〜79・514のうち、当車のみが長野へ配置されている。長野へは急行「きそ」「ちくま」「越後」の幹線急行の冷房化のため投入された。これら急行は中央西線の電化後も引き続き気動車で残り、架線下気動車急行で暫く活躍したが、「53-10改正」でこれらが全て電車化されることになり、当車は1978年10月4日付けで向日町運転所へ転属した。向日町では京都発着の急行「しらはま」「志摩」で活躍したが、1980年代には急行「しらはま」が運転区間縮小され「紀ノ川」に変わり、それも「60-3改正」で廃止されたため「志摩」のみの運用であったが、国鉄末期の「60-3改正」では宮原機関区の運用が向日町へ移管され、急行「みささ・みまさか」「たかやま」でも使用されるようになった。その後「61-11改正」で急行「志摩」も廃止されたが主に「たかやま」用としてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は向日町のキハ65は余剰気味であり金沢地区で新設されるジョイフルトレインの種車となり、1988年3月18日付で「ゴールデンエクスプレス アストル」へ改造され、車番も「キロ65 1551」へ改番された。当車は国鉄末期に改造された「ゆうトピア和倉」のシステムを踏襲しており、同車が検査入場時には代替として使用できるように考慮された。その他特急「雷鳥」に併結されて高山本線方面へ乗り入れる臨時特急「ユートピア高山」や、同時期に改造された中間車のキロ29 552を挟んで団体・臨時列車で活躍した。1994年に先輩の「ゆうトピア和倉」が故障廃車となって以降は波動用・団体用として広範囲で活躍した。1997年12月10日付で延命工事が施工され、カラーリングが変更されたほか、中間車がキロ28 2500番台改造のキロ29 554に差し替えられ、車体形状が揃いきれいな編成となった。以降も北陸地区以外も含め広範囲で活躍したが、老朽化のため2007年3月9日付で廃車となった。

前面は「ゆうトピア和倉」に類似したハイデッカー展望室へ改造されているが、窓が2分割へ変更されおり眺望が良くなっている。
側面は、前位側はハイデッカーに改造されており種車の面影はないが、車体中央部から後位側は原形を残している。窓は配置はほぼそのまま固定式に改造されている。当車は後位側に便所が設置されたので、3位側に横長の便所窓が設けられたが、延命工事時に便所窓は埋められている。
屋根上は、前位側は大きく改造されており、集中式のAU76形クーラーを搭載しているが、一般席側は種車のAU13クーラーを4基残している他、換気扇が増設されている。また延命工事時に雨どいの縦樋が埋め込み式から外妻へ移設されており、12系客車のような形態となっている。
床下は、便所非搭載車であり原形を残している。台車は、電車と併結し高速運転をすることから軸受け方式がペデスタル式に改造されている。また当車は延命工事以降床下機器が台車を含め全て灰色で塗装されている。


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