キハ65 517



1971年6月14日日本車輌製の6次車で、昭和45年度第2次債務で長野運転所へ配置された。同一ロット515〜518全車が長野へ配置されている。長野へは急行「きそ」「ちくま」「越後」の幹線急行の冷房化のため投入された。これら急行は中央西線の電化後も引き続き気動車で残り、架線下気動車急行で暫く活躍したが、「53-10改正」でこれらが全て電車化されることになり、当車は1978年10月4日付けで竹下気動車区へ転属した。竹下では長崎本線の急行「出島」「弓張」を中心に活躍したが、「57-11改正」で特急格上げにより同急行が全廃されると、主に博多近郊のローカル輸送で使用されるようになった。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後もしばらくは普通列車のみで運用されていたが、1989年3月改正より急行「えびの」の一部が博多発着となり竹下で担当することになり、当車はこれに抜擢されることになった。そのため1989年2月2日にはリクライニングシート化され1989年10月9日には塗装が「九州急行色」へ変更された。1991年3月には竹下気動車区は廃止され直方へ統合され、直方気動車区博多運用となったが運用の実態は同じであった。1992年7月15日のダイヤ改正で急行「由布」「火の山」が特急格上げで廃止された際に車両の入れ替えが行われ、大分からキハ65が転入した代わりに当車は快速「シーサイドライナー」用にダイヤ改正同日付で長崎へ転出した。またこの転属に先立ち、1992年3月10日付で塗装が濃紺の「シーサイドライナー」色に変更されていた。長崎では「シーサイドライナー」を中心に活躍し、1994年3月には同快速にキハ200系が一部投入された後も残った運用で活躍した。1997年頃にはキハ200に合わせた、青色ベースの新塗装へ変更された。しかし2001年10月6日の筑豊本線・篠栗線電化によりキハ66系とキハ200系が長崎へ転入すると余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

前面は、放送用ジャンパ受栓は、原形のステップ下部のままである。当車は「シーサイドライナー」塗装に変更された際に、ロゴの関係で小手すりの位置が下げられている。当車は500番台車で新製時はシャッター式のタイフォンであったが、九州転属後に九州独自形状のスリット式カバーへ変更されている。
側面はほぼ原形のままであるが、タブレットキャッチャー取り付け台座及びタブレット保護板が撤去されている。また強制換気用のルーバーも撤去されている。
屋根上はほぼ原形のままであるが、九州標準で排気煙突が屋根から上部へ延長されている。
床下はほぼ原形であるが、スカート下のスノープロウが撤去されている。


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