キロ26 202



1968年9月21日富士重工製の8-3次車で、昭和42年度第3次債務では函館運転所に新製配置された。同一ロット201〜203のうち、201・202が函館へ配置された。当車は新製時より冷房を搭載している。函館では急行「宗谷」の他、急行「ニセコ」、臨時「すずらん」で活躍した。1969年にはキハ80系の転入遅れで特急「北斗」をキハ56系で運行することになり、これには新しいモデルチェンジ車を充てることになり、当車も1969年10月付で札幌へ転属した。この代走期間中は臨時「すずらん」は運転中止となった。キハ80系転入後は引き続き札幌で急行「すずらん」「ちとせ」等で活躍したが、1971年には函館の0番台車と交換され、再び函館へ転属した。函館では以前と同じく急行「宗谷」の他、急行「ニセコ」、臨時「すずらん」で活躍した。「56-10改正」では列車の運行体系が札幌起点へと大幅に改められ、急行「宗谷」は札幌〜函館間廃止の上苗穂担当となった。そのため函館のグリーン車は余剰気味となり、当車は引き続き臨時「すずらん」「ニセコ」で活躍した。しかし比較的車齢が若いことから1984年2月3日付で苗穂へ転出した。苗穂では残った急行のグリーン車で活躍したが急行削減後は余剰となり、「アルコン」登場時に塗装のみ同列車に合わせられ増結用とされた。変更後は主に札幌〜新得間で使用され、そのままJR北海道へ継承された。しかしJR化直前にキハ56改造の中間車「キハ59 101」が登場してからは活躍の場は少なかった。また1987年12月に同区間を走行する「トマムサホロエクスプレス」が登場すると「アルコン」を5両以上に増結する必要もなくなったことから余剰となり、1988年11月30日付で廃車となった。

側面は、塗装以外は原形のままである。便所には汚物処理装置の点検蓋が設置されている。
屋根上は、ほぼ原形のままであるが、前位側に特急「北斗」代走時代の青函連絡船用無線アンテナが取り付けられている。
床下は、4DQ-11P発電セットを搭載しほぼ原形のままある。後位側には汚物処理装置が取り付けられている。また床下機器は全て黒で塗装されている。


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