キロ28 1 → キロ28 2001



キロ28のトップナンバー車。

1961年5月23日帝国車両製の1-1次車で、昭和35年度債務で小郡機関区に新製配置された。同一ロット1〜3のうち、1・2が小郡へ配置された。当車は新製時は非冷房車である。小郡では従来のキロ25に代わり急行「山陽」、準急「あきよし」で使用開始した。1965年10月のダイヤ改正では山陽本線の電化に伴い急行「山陽」が電車化され小郡の気動車の一部は余剰となり、当車は1965年10月27日付で和歌山へ転属した。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」を中心に活躍した。しかし和歌山での活躍は長くなく、1967年10月のダイヤ改正で特急「くろしお」が増発され急行が一部廃止されると捻出され、1967年10月度で竹下へ転属した。竹下ではキロ25に代わり長崎本線系統の急行を中心に、九州全域の急行で活躍するようになった。当車は1968年までに冷房化されている。その後は電車特急の増発による急行の削減により竹下区の所要数が減少し、1972年3月改正で大分へ転属し、豊肥本線・久大本線系統の急行で使用されるようになった。大分では比較的長く活躍し、トップナンバー車ながら1979年12月29日付で冷房発電セットが4VKへ換装され、2001へ改番された。1970年代末には九州では電化の進展により比較的中期車のキロでも廃車が進行しており、当車の2000番台への改造は異例とも言えよう。その後も急行「由布」「火の山」で活躍したが、国鉄末期の「60-3改正」で九州内の急行からグリーン車が外されアコモ改造車を指定席に充てるという営業施策の変更が行われると余剰となり、1985年8月15日付で廃車となった。廃車後はしばらく大分運転所構内で利用されていたが、後に解体され存在しない。

側面は、おおむね原形であるが、発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。
床下では、後位側に4VK冷房電源セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製のままである。


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