キロ28 4 → キハ28 5001



1961年5月30日帝国車両製の1-1次車で、昭和35年度債務で名古屋第一機関区に新製配置された。同一ロット4〜6全車が名古屋へ配置された。当車は新製時は非冷房車である。名古屋では中央西線の急行「しなの」等で活躍を開始した。初期車の転配は目まぐるしく、1963年には松本へ長大編成対応車が投入され同区の4次車が名古屋へ転入し、当車は玉突きで1963年4月18日付で和歌山へ転出した。しかしこの転出は紀勢本線の夏季輸送用と思われ、1963年9月30日付で青森へ転出している。青森では東北本線の急行列車で活躍したが長くはなく、1964年9月30日に冷房準備車のキロ28 145・146が新製されると玉突きで1964年10月15日付で高松へ転属した。この高松が安住の地となり1980年代まで徳島地区を除く四国全域の急行で活躍した。1980年11月1日より四国内の営業施策変更により急行のグリーン車は普通車指定席へ格下げされ、当車はそれに先立つ1980年10月17日付でキハ28 5001へ改番された。その後も急行で活躍したが四国内の元グリーン車は経年車が多く他区より転入の後期車で置き換えられる流れが進んだが、当車はそれに先立ち1984年2月1日改正による減車減便で捻出され1984年3月10日付で廃車となった。

側面は、おおむね原形であるが、4DQ-11P発電セットが搭載された際にこれの吸気口が2-4位側へ設けられている。四国では早くから汚物処理装置が取り付けられており、その点検蓋が設けられている。また当車は2連窓の真ん中のアルミ桟が赤色に塗られており異彩を放っていた。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。なお当車は晩年小判型のAU13クーラーを搭載していた。
床下では、後位側に4DQ-11P冷房電源セットが搭載されている。また便所床下には汚物処理装置が取り付けられている。水タンクは新型のFRP製に更新されている。


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