キロ28 14



1961年6月24日帝国車両製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で松本機関区に新製配置された。同一ロット11〜14全車が松本へ配置された。当車は新製時は非冷房車である。松本では中央東線の急行「アルプス」を中心に活躍を開始した。松本での活躍は短く、1963年上期に長大編成対応のキロ28 100番台とキロ58が投入されると捻出され、玉突きでまず北海道夏季輸送用に1963年4月18日付で苗穂へ転属し、夏季輸送終了後9月11日付で郡山へ転属した。郡山では「いいで」等磐越西線の急行で使用されたが1964年10月のダイヤ改正で運用が新潟へ移管され、当車も1964年10月13日付で新潟へ転属した。その後1965年10月改正では山形から100番台が新潟へ転入し、当車は玉突きで和歌山へ転じた。和歌山では急行「きのくに」を中心に紀伊半島の急行で活躍したが長くなく、1967年10月のダイヤ改正で特急「くろしお」が増発され急行が一部廃止されると捻出され、1967年10月度で竹下へ転属した。竹下ではキロ25に代わり長崎本線系統の急行を中心に、九州全域の急行で活躍するようになった。当車は1968年までに冷房化されている。その後は長崎本線急行の受け持ちが長崎区との間で調整され、1972年3月改正で長崎へ転じた。以降は急行「いなさ(後の出島)・弓張」を中心に活躍したが、「57-11改正」で同急行が全て特急「かもめ・みどり」に格上げされると余剰となり、保留車として在籍したのち1984年9月19日付で廃車となった。

側面は、おおむね原形であるが、4DQ-11P発電セットが搭載された際にこれの吸気口が2-4位側へ設けられている。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。なお当車は晩年小判型のAU13クーラーを搭載していた。
床下では、後位側に4DQ-11P冷房電源セットが搭載されている。


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