キロ28 22 → キハ28 5005



1961年9月16日帝国車両製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で米子機関区に新製配置された。同一ロット19〜23のうち、22・23が米子へ配置された。当車は新製時は非冷房車である。当車は山陰本線の急行で活躍を開始したが初期には目まぐるしく転属が行われ、1962年10月には一部運用移管により宮原へ転属、しかし1963年上期には宮原区の運用減少により和歌山へ転属するがこの転出は紀勢本線の夏季輸送用と思われ、1963年9月11日付で青森へ転出している。青森では東北本線の急行列車で活躍したが長くはなく、1964年9月30日に冷房準備車のキロ28 153・154が新製されると玉突きで1964年度中に高松へ転属した。この高松が安住の地となり1980年代まで徳島地区を除く四国全域の急行で活躍した。1980年11月1日より四国内の営業施策変更により急行のグリーン車は普通車指定席へ格下げされキハ28 5005へ改番された。その後も急行で活躍したが四国内の元グリーン車は経年車が多く他区より転入の後期車で置き換えられる流れが進み、当車は「59-2改正」で大分より転じたキロ28 2183改番の5212と交代する形で1984年12月21日付で廃車となった。

側面は、おおむね原形であるが、4DQ-11P発電セットが搭載された際にこれの吸気口が2-4位側へ設けられている。四国では早くから汚物処理装置が取り付けられており、その点検蓋が設けられている。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。なお当車は晩年小判型のAU13クーラーを搭載していた。
床下では、後位側に4DQ-11P冷房電源セットが搭載されている。また便所床下には汚物処理装置が取り付けられている。水タンクは新型のFRP製に更新されている。


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