キロ28 26 → キロ28 2026



1961年9月30日帝国車両製の1-2次車で、昭和36年度本予算(内示)で竹下気動車区に新製配置された。同一ロット26〜28のうち、当車のみ竹下へ配置された。当車は新製時は非冷房車である。竹下では新設された準急「ひかり」など、九州北部の幹線急行で使用されたが1962年には早くも需給の関係で鹿児島へ転じている。鹿児島では急行「フェニックス」など幹線急行で使用され、そのため九州最南端というその状況から1963年度にバス用のBAU102を使用した試作冷房車へと改造された。その後1965年に鹿児島へ新製冷房車が投入されると当車は玉突きで長崎へ転じ主に長崎本線の急行で使用されるようになり、1968年度には冷房装置が量産冷房車と同じAU13へと改造された。その後も長崎で急行「いなさ・弓張」で活躍したが1976年7月の長崎本線電化により気動車急行は大幅に削減され余剰車が発生するが当車は活用されることになり1976年7月12日付で水戸に転属した。この転配では長崎から水戸にキロ28 26・42が転属し、水戸のキロ28 52・108が廃車となっている。水戸では急行「ときわ」「奥久慈」「いわき」で活躍し、1978年4月20日には冷房用発電ユニットが4VKへと換装されキロ28 2026へ改番された。キロ28 0番台では最初の2000番台化改造車である。引き続き水戸で活躍したが「57-11改正」で急行「いわき」が廃止されると当車は余剰となるが、当車は若番車であるにも関わらず4VKを搭載していることから転用されることになり、1982年11月25日付で豊岡へ転属した。豊岡ではそれまで配置されていたキロ28 3に代わり急行「丹波」「但馬」「丹後」等で活躍したが、「59-2改正」で余剰となり、1984年6月30日付で廃車となった。

側面は、おおむね原形であるが、発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。なお当車は晩年小判型のAU13クーラーを搭載していた。
床下では、後位側に4VK冷房電源セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製のままである。


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