キロ28 45 → キロ28 2045



1962年4月16日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第3次債務で郡山機関区に新製配置された。同一ロット45〜48のうち45・46が郡山へ配置された。当車は新製時は非冷房車である。郡山では「いいで」等磐越西線の急行で使用されたが1964年10月のダイヤ改正で運用が新潟へ移管され、当車も1964年10月1日付で新潟へ転属した。その後1965年10月改正では山形から100番台が新潟へ転入し、当車は玉突きで1965年10月26日付で和歌山へ転じた。和歌山では急行「きのくに」を中心に紀伊半島の急行で国鉄末期まで長く活躍し、1982年8月11日には冷房用発電ユニットが4VKへと換装されキロ28 2045へ改番された。しかしながら「60-3改正」では各地より転入した485系により特急「くろしお」が増発されると急行「きのくに」は全廃され当車も余剰となってしまった。和歌山機関区も廃止されたため書類上は改正日の1985年3月14日付で亀山へ転属しているが現車は和歌山機関区跡もしくは和歌山操で留置されており、活用されることの無いまま1986年10月31日に廃車となった。

側面は、客室窓が和歌山時代にユニット式に改造されて大きく姿を変えている。発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。
床下では、後位側に4VK冷房電源セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製のままである。


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