キロ28 50 → キロ28 2050



0番台のキロ28で希少なユニットサッシ化された車両。

1962年4月25日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第3次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット49〜52のうち、49〜51が米子へ配置された。当車は新製時は非冷房車である。米子では従来のキロ25を置き換え、山陰地区の急行・準急列車で使用されるようになった。しかし新製後間もない1962年10月のダイヤ改正では運用移管等により宮原へ転出した。宮原では主に大阪を発着する山陰本線系統の急行で活躍したが、1964年10月のダイヤ改正では隣の梅小路へ転属し、京都発着の山陰本線急行や紀勢本線方面への急行で使用されるようになった。以降同地区から離れなかった。1968年までにグリーン車は冷房化され、また1972年3月改正では梅小路機関区の気動車配置は向日町運転所へ統合され、同所で主に急行「丹後」「志摩」「しらはま」等で活躍した。「50-3改正」以降は気動車急行は減少傾向に向かい、普通列車に転用できないグリーン車は早くも廃車が始まり、特に1980年以降は急速に0番台車は廃車が進んだが、当車は1981年12月26日付で運用の効率化のため冷房発電セットが4VKへ換装され、2050へ改番された。また同時期(同時?)には腐食対策のため側面の下降窓がユニットサッシに改造された。その後も同急行で活躍したが、「60-3改正」で宮原区が向日町へ統合され同区の後期車が向日町へ転入したことと、急行「志摩」「紀の川」も廃止されたことから余剰となり、保留車として在籍したのち1987年2月10日付で廃車となった。

側面は、客室窓が向日町時代にユニット式に改造されて大きく姿を変えている。発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。便所側面に汚物処理装置の点検蓋が設けられている。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。
床下では、後位側に4VK冷房電源セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製のままである。便所側デッキ下には汚物処理装置が取り付けられている。


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