キロ28 64 → キロ28 2064



1962年10月31日帝国車両製の4次車で、昭和37年度民有債で新潟運転所に新製配置された。同一ロット63〜66のうち、63・64が新潟へ配置された。当車は新製時は非冷房車である。新潟では急行「赤倉」で使用開始したが、当列車は長大編成を組むため翌1963年には100番台車が投入され、玉突きで早くも1963年9月28日付で青森へ転属した。青森では急行「しらゆき」「おが」等で使用されたが、1964年2月に青森にも100番台車が投入されると当車は再び玉突きで1964年3月5日付で広島へ転属した。広島では主に急行「青島」や芸備線急行の「ちどり」「たいしゃく」で活躍した。「50-3改正」では山陽新幹線博多開業に伴い急行「青島」が廃止され広島のキロ28に余剰が発生したが、他区へ転用されることになり1975年10月25日付で兄弟の66と共に豊岡へ転属した。なおこれに伴い豊岡ではキロ28の5と32が廃車となっている。豊岡では急行「丹波」「丹後」「但馬」で長く活躍し、0番台車ながら1981年7月30日には運用の効率化のため冷房発電セットが4VKへ換装され、2064へ改番された。その後も同急行で活躍したが、「61-11改正」で福知山線電化により福知山周辺の急行が整理された際に余剰となり、1987年2月6日付で廃車となった。

側面は、おおむね原形であるが、発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。
床下では、後位側に4VK冷房電源セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製のままである。


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