キロ28 80 → キロ28 2080



1963年1月18日帝国車両製の4次車で、昭和38年度利用債で米子機関区に新製配置された。同一ロットは同車のみである。当車は新製時は非冷房車である。米子では山陰本線の急行でキロ25に代わり活躍したが、早くも1963年10月のダイヤ改正で運用移管により福知山へ転属した。豊岡では急行「丹波」「丹後」で活躍したが、需給の関係で1964年度には再び米子へ戻っている。米子では急行「三瓶」「白兎」「おき」等の山陰本線の急行で活躍したが、1969年度には再び福知山へ転属している。その後の福知山では急行「丹波」「丹後」で長く活躍し、0番台車ながら1980年12月24日には運用の効率化のため冷房発電セットが4VKへ換装され、2080へ改番された。その後も同急行で活躍したが、「61-11改正」で福知山線電化により福知山周辺の急行が整理された際に余剰となり、1987年2月6日付で廃車となった。

側面は、おおむね原形であるが、発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。
床下では、後位側に4VK冷房電源セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製のままである。


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