キロ28 104



1963年4月20日帝国車両製の5-1次車で、昭和37年度第2次債務で松本機関区に新製配置された。同一ロット101〜104全車が松本へ配置された。当車は長大編成対応の非冷房車として落成した。松本では急行「アルプス」のグリーン車として同時に製造されたキロ58とペアで使用開始した。しかし早くも1965年7月には中央東線全線電化により急行「アルプス」は2往復を残し電車化され、この際に1エンジンのキロ28は全車転出することになり、まずは房総地区の夏季海水浴輸送に使用するため7月1日付で千葉へ転出の後、8月30日で金沢へ転じた。金沢では急行「あさしお」で使用されるが1966年5月には新製冷房車が投入され、当車は玉突きでまず北海道の夏季輸送に使用されることになり5月19日付で函館へ転属したのちに9月14日付で青森へ転属している。青森では東北北部の急行で活躍したが需給の関係で転出することになり、まず北海道の夏季輸送で使用されることになり1967年4月3日付で函館へ転属したのちに9月にはるばる鹿児島へ転属している。鹿児島では急行「フェニックス」の他、鹿児島周辺の「錦江」等で活躍した。しかし「55-10改正」で最後まで残っていた急行「錦江」は快速化されグリーン車が外れ、当車は181と共に人吉へ転属した。なおこの転属により従来のキロ28 28・73が玉突き廃車されている。人吉では急行「くまがわ」で活躍したが長続きせず、「57-11改正」で急行「出島・弓張」廃止により長崎からキロ28 185が転入すると玉突きで余剰となり、1983年1月26日付で廃車となった。

側面は、おおむね原形であるが、4DQ-11P発電セットが搭載された際にこれの吸気口が2-4位側へ設けられている。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。
床下では、後位側に4DQ-11P冷房電源セットが搭載されている。なお当車はこの頃の九州では珍しく床下の水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。


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