キロ28 122 → キロ28 2122



1963年10月1日帝国車両製の5-2次車で、昭和38年度民有債で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット120〜124のうち122〜124が和歌山へ配置された。当車はAU12用の冷房準備車として落成した。和歌山では紀勢西線の急行「きのくに」等で主に活躍した。間もなく1964年には新製冷房車の147〜149が投入されたからか、122〜124は揃って転出し、122・123は米子に転じている。米子では急行「だいせん」や「白兎」「伯耆」等で使用され、1968年までにAU13を搭載し冷房化されている。その後は米子管内を浜田、鳥取と移動したが鳥取時代が長く続いた。1978年10月改正では米子から124が転入したこともあり宮原へ転出。宮原では同改正から新たに急行「たかやま」を担当することになったためその対応であった。宮原転出直前の1978年9月23日付で冷房発電ユニットを4VKに換装しキロ28 2122へ改番されている。その後は宮原担当の「みささ」「たかやま」「丹波」等で活躍し、後に循環式汚物処理装置取付を行い側窓もユニットサッシ化された。1985年3月改正では基地統合で向日町配置へ変更されたが、1986年11月改正で急行「丹波」が廃止されると余剰となり、1987年2月10日付で廃車となった。


側面は、客室窓が宮原時代にユニット式に改造されて大きく姿を変えている。発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。便所側面に汚物処理装置の点検蓋が設けられている。
屋根上はAU13を搭載し冷房化されている。当車はAU12用の冷房準備車であったため、屋根高さが非冷房車と同じというグループである。クーラーキセは小判型のものが装備されている。
床下もほぼ原形のままであるが、冷房発電セットは3両給電の4VKへ換装されている。後位側に汚物処理装置が設置されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る