キロ28 125 → キロ28 2125



1963年12月20日帝国車両製の6-1次車で、昭和38年度第2次債務で宮原機関区に新製配置された。同一ロット125〜127のうち、125・126が宮原へ配置された。当車はAU12用の冷房準備車として落成した。宮原では急行「きたぐに(後の越後)」で活躍した。その後1968年までにAU13を搭載し冷房化されている。1969年には急行「越後」用にキロ28 2500番台が投入され、当車は玉突きで1969年6月5日付で水戸へ転属した。水戸では急行「ときわ」で活躍した。同急行での活躍は長く続き、運用効率を上げるため1976年11月に冷房発電セットが4DQ-11Pから4VKへ換装され、2125へ改番された。しかし東北新幹線上野開業の「60-3改正」で急行「ときわ」が廃止されると余剰となり、1985年10月15日付で廃車となった。

側面はおおむね原形であるが、発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。
屋根上はAU13を搭載し冷房化されている。当車はAU12用の冷房準備車であったため、屋根高さが非冷房車と同じというグループである。
床下では、台車がキハ81系発生品のDT27系台車へ交換されている。冷房発電セットは3両給電の4VKへ換装されている。水タンクは原形の鋼製のままである。


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