キロ28 151 → キロ28 2151 → キハ28 5221



最期まで残ったグリーン車格下げのキハ28。

1965年1月25日帝国車両製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット150〜154のうち、150〜152が和歌山へ配置された。当車は新製時より冷房車である。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で長く活躍した。1980年代には運用の効率化のため冷房発電セットが4VKへ換装されることになり、1982年5月24日付で改造され2151へ改番された。しかし「60-3改正」では特急「くろしお」増発で急行「きのくに」は全廃となり、当車は兄弟の152と共に1985年3月12日付で普通車へ格下げされキハ28 5221へ改番され、大分へ転属した。大分では急行の指定席車として活躍するようになり、1エンジン車であることから主に急行「由布」で使用された。そしてそのままJR九州へ継承された。JR化後は強馬力キハ65のアコモ改造が進み、非力で中間車の当番台は敬遠され、1988年に長崎へ転出した。長崎ではキハ58系のほか他の一般形気動車に混じり、快速「シーサイドライナー」の運用で主に使用された。そして1988年11月10日には「九州色」へ変更されている。1992年7月に、急行「由布」「火の山」の特急格上げにより、同急行に使用されていたアコモ改造車が快速「シーサイドライナー」用に大量に長崎へ転入し、長崎のメンバーは大幅な入れ替えが行われたが、当車は引き続き長崎で使用されることになり、1993年1月14日付で快速「シーサイドライナー」用のアコモ改造を受け、塗装も濃紺の専用塗装となった。1994年にはキハ200が投入され一部車両が置き換えられるが当車は引き続き使用された。しかし中間車で運用上制約が多いのが問題であり、1999年に一般車のキハ28・キハ58が長崎へ転入すると玉突きで余剰となり、1999年12月13日付で廃車となった。

側面は、客室窓が和歌山時代にユニット式に改造されて大きく姿を変えている。発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。
屋根上は原形のままである。
床下もほぼ原形のままであるが、機関予熱器が撤去されている。冷房発電セットは3両給電の4VKへ換装されている。水タンクは原形の鋼製のままである。また初期のシーサイドライナー色では、床下機器が黒に近い濃いグレーで塗装されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る