キロ28 159 → キロ28 2159 → キハ28 5210



1965年4月5日帝国車両製の6-4次車で、昭和39年度第3次債務で大分機関区に新製配置された。同一ロット155〜159のうち、当車のみが大分へ配置された。当車は新製時より冷房車である。大分では急行「ひまわり」を始め、久大本線・豊肥本線の急行で使用開始したが、すぐに需給の関係で転属することとなり、1965年9月24日付で浜田へ転属した。浜田では急行「だいせん」等で使用された。1969年度には浜田に2500番台が新製投入されたため当車は玉突きで鳥取へ転属した。鳥取では急行「白兎」「砂丘」等、山陰本線及び陰陽連絡線の急行で長く活躍した。山陽新幹線岡山開業に伴う「72-3改正」では主に陰陽連絡線を中心に特急化が行われ余剰が発生し、当車は向日町へ転属し急行「志摩」「しらはま」等、主に京都発着の紀勢本線方面の急行で活躍するようになった。そして運用効率を上げるため冷房電源ユニットを4VKへ換装することになり、1978年7月8日付で「キロ28 2159」へ改造された。その後1982年5月17日のダイヤ改正では一部急行のグリーン車が外され、当車は1982年6月16日付で豊岡へ転属した。豊岡では0番台車を置き換え急行「丹波」「丹後」等で活躍したが、程なく広島との間で汚物処理装置に関する車両交換が行われ、同装置を付けている当車は1983年2月16日付で広島へ転属した。広島では急行「ちどり」で活躍したが、「59-2改正」で急行「ちどり」が縮小された際に余剰となり、、当車は四国で活用されることとなり1984年3月27日付で高松へ転属したのちに1984年4月5日付で「キハ28 5210」へ格下げ改造された。高松では四国全域の急行指定席車として使用され、国鉄末期の急行削減後も生き残りそのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年2月11日付でリフレッシュ工事を受け、1989年3月25日付で「四国色」へ塗り替えられた。1989年7月22日のダイヤ改正で急行「いよ」「土佐」の大幅削減が行われた後も引き続き高松に留まり残った急行「あしずり」で活躍したが、1990年11月21日のダイヤ改正で急行「よしの川」を除き全廃され、1990年12月31日付で廃車となった。

側面は、客室窓がユニット式に改造されて大きく姿を変えている。発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。当車は広島時代に側面の強制換気吸気口が埋められている。便所側面に汚物処理装置の点検蓋が設けられている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下では、冷房発電セットは3両給電の4VKへ換装されている。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。後位側に汚物処理装置が設置されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る