キロ28 171 → キロ28 2171 → キハ28 5211



1965年11月10日帝国車両製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で宮原機関区に新製配置された。同一ロット170〜173のうち、171・172が宮原へ配置された。当車は新製時より冷房車である。宮原では急行「ちくま」「丹波」等で活躍したが、1969年に2300番台車が投入されると玉突きで梅小路へ転属し、京都発着の紀伊半島方面の急行「志摩」「しらはま」等で使用されるようになった。この状態は長く続き、その後運用効率を上げるため冷房発電セットが4VKへ換装されることになり、1981年4月10日付で改造され2171へ改番された。しかし関西本線名古屋口の電化が行われた1982年5月の時刻修正で急行「志摩」「はまゆう」からグリーン車が外され余剰となり、1982年7月4日付で豊岡へ転出した。豊岡では4VKを搭載しない経年の高いキロ28 3・7に代わり急行「但馬」「丹波」「丹後」で活躍したが、汚物処理装置を装備していることから広島の車輛と交換することとなり、1983年2月16日付で2159とともに広島へ転出した。尚これに伴い広島のキロ28 2304・2305が広島から豊岡へ転出している。広島では急行「ちどり」で活躍したが、「59-2改正」で急行「ちどり」のグリーン車が外され余剰となる。しかし当車は四国の4VKを搭載しないキハ28 5000番台を置き換えるため1984年3月27日付で高松へ転属し、1984年4月5日付でキハ28 5211へ格下げされた。その後も四国全域の急行の指定席車として使用されたが、国鉄最後の「61-11改正」でキハ185系投入により急行が大幅に削減され余剰となり、1987年1月20日付で廃車となった。

側面はほぼ原形であるが、発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。便所側面に汚物処理装置の点検蓋が設けられている。また元広島配置車の名残で、側面窓下にサボ挿しが残っている。
屋根上は、原形のまま変化ない。クーラーは初期型のAU13を搭載している。
床下もほぼ原形のままであるが、冷房発電セットは3両給電の4VKへ換装されている。後位側に汚物処理装置が設置されている。


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