キロ28 183 → キロ28 2183 → キハ28 5212



1966年1月19日帝国車両製の6-5次車で、昭和40年度第1次民有で鹿児島運転所に新製配置された。同一ロット178〜185のうち、181〜183が鹿児島へ配置された。当車は新製時より冷房車である。鹿児島では急行「フェニックス」「青島」「日南」等の幹線急行で長く使用された。1970年代後半以降、運用効率を上げるため発電ユニットを4VKに換装することになり、同改造の第1陣として1976年3月30日付で「キロ28 2183」へ改造された。晩年は最後まで残った急行「錦江」で活躍したが、同急行も日豊本線全線電化後の「55-10改正」で廃止され当車は余剰となり、老朽キロ28を置き換えるために1980年9月26日付で大分へ転属した。大分では急行「由布」「火の山」等の久大本線・豊肥本線の急行で活躍した。またこの頃に側窓がユニットサッシに改造されている。しかし「59-2改正」でグリーン車が編成から外され余剰となった。しかし当車は後期車で状態が良かったのか、四国で活用するととなり、1984年5月21日付で高松へ転属したのちに1984年9月25日付で「キハ28 5212」へ格下げ改造された。その際に汚物処理装置も取り付けられた。高松では四国全域の急行指定席車として使用され、国鉄末期の急行削減後も生き残りそのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年4月1日付でリフレッシュ工事を受け、1989年4月7日付で「四国色」へ塗り替えられた。しかし間もなく1989年7月22日のダイヤ改正で急行「いよ」「土佐」の大幅削減が行われた際に余剰となり、1990年3月31日付で廃車となった。

側面は、九州時代に客室窓がユニット式に改造されて大きく姿を変えている。発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。便所側面に汚物処理装置の点検蓋が設けられている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下では、冷房発電セットは3両給電の4VKへ換装されている。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。後位側に汚物処理装置が設置されている。


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