キロ28 190 → キロ28 2190



1966年5月9日帝国車両製の7-1次車で、昭和40年度第2次債務で金沢運転所に新製配置された。同一ロット190〜192全車が和歌山へ配置された。当車は新製時より冷房車である。金沢では急行「大社」の金沢編成等で活躍した。1972年には小牛田・千葉からキロ28が転入した関係で玉突き転配が行われ、当車は1972年上期で名古屋へ転出した。名古屋では急行「のりくら」「紀州」「きそ」等で活躍したが、中央西線電化の完成した1973年より急行「きそ」の削減が始まると余剰となり、当車は1973年7月17日付で和歌山へ転出した。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で長く活躍し、1970年代後半には運用の効率化のため冷房発電セットが4VKへ換装されることになり、1977年5月18日付で改造され2190へ改番された。しかし「60-3改正」で特急「くろしお」増発で急行「きのくに」は全廃となり、当車は用途保留のまま1985年3月14日付で亀山へ転属した。その後当車は状態が良いからか1985年12月13日付で鳥取へ転属し、他の検査切れ車両に代わり急行「白兎」「丹波」「砂丘」で使用された。しかし国鉄最後の「61-11改正」で福知山線電化により急行「白兎」が廃止され、また「但馬」のグリーン車連結も廃止されたことから用途を失い、1987年2月6日付で廃車となった。

側面は、客室窓が和歌山時代にユニット式に改造されて大きく姿を変えている。発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。
屋根上は、ほぼ原形のままであるが、クーラーは初期の角型のもの、後期型のスリット状ルーバー、メッシュ状ルーバーの各形状が入り混じっている。
床下もほぼ原形のままであるが、冷房発電セットは3両給電の4VKへ換装されている。


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